【誰もが自分らしく、尊重し合いながら共存するために】
私たちの暮らす社会は、多様な属性をもつ人々によって構成されています。自分とは異なる属性の人と接する中でこそ、私たちは互いに支えあい豊かに生きることができるのです。しかし社会を見渡すと、いまだに障害の有無や性別、国籍などによる差別や偏見が後を絶ちません。誰もが尊厳をもって生きることができる社会をどのように作っていけばいいのか、ダイバーシティ(多様性)とインクルージョン(包摂)という言葉から考えてみましょう。
【ダイバーシティ(多様性)】
ダイバーシティ(多様性)という言葉を耳にしたことがある人は多いでしょう。年齢、性別、障害の有無、性的指向、国籍、宗教、民族的ルーツなど、さまざまな異なる属性をもつ人々が、ひとつの社会で互いに尊重しあいながら共存している状態をさす言葉です。ダイバーシティという概念は、人種差別や女性差別の撤廃運動が盛んだった1960年代のアメリカで、人種や性別にかかわらず誰もが平等に権利を与えられるべきだという考えから誕生しました。
ダイバーシティの考え方が日本で注目され始めたのは1980年代以降のことで、1986年には男女雇用機会均等法が施行されました。しかし、2023年にはジェンダーギャップ指数で146か国中過去最低の125位となり、外国人労働者や移民の待遇においても国連から改善を求められるなど、他の先進国と比較しても対応が遅れているのが現状です。
【インクルージョン(包摂)】
インクルージョンという概念が生まれたのは1970年のフランスでした。当時のフランスでは不況や移民の増加により経済的格差が拡大し、若年の失業者や障害をもつ人などが社会から排除された状態に陥るという問題が発生しました。こうした人々を社会として支えていくためには、ただ金銭的に支援するだけでなく、就職や地域コミュニティへの参加などを通じて社会の中に居場所とつながりを作っていく必要がありました。社会的に立場の弱い人を含め、すべての人が等しく社会に参画できるように仕組みを整えること。これがインクルージョンの根本的な考え方(ソーシャルインクルージョン/社会的包摂)です。
教育はインクルージョンが特に必要とされる領域です。子ども一人ひとりの違いを尊重しながら共に学ぶ場をつくる「インクルーシブ教育」という考え方のもと、障害をもつ子どもが学校や地域社会の一員として健やかに成長できるよう、さまざまな施策が実施されています。
【企業が取り組む「D&I」】
こうした本来の意味から派生して、ビジネスの業界では、組織が多様な人材で構成されていることをダイバーシティ、多様性が組織の活性化のために活かされる状態をインクルージョンと呼んでいます。両者を合わせた「D&I」は、多様な人々が働きやすく意見を反映されやすい環境を整えることで、社会的責任を果たしつつ時代の変化に柔軟に対応できる組織を作ろうとする考え方です。D&Iの具体的な取り組みとして、女性役員の登用、障害者・高齢者雇用、育休や産休制度の拡充、社内施設のバリアフリー化などが挙げられます。
政府でも、企業に対して一定割合以上の障害者雇用を義務付けているほか、障害者が働きやすい環境を整備した企業に対しては助成金を支給するなど社会的包摂を推進する施策を行っています。しかし実際には、障害者枠で雇用された人が能力に不釣り合いな簡単な仕事しか任せてもらえない、障害に対する無理解によって周囲との関係が悪くなるといった問題も起こっています。雇われた人が能力を発揮して生き生きと働くためには、社内教育などを通じ企業の風土から変えていく必要があります。
【障害の有無を越えた「共生社会」へ】
多様で包摂的な社会を実現するために、私たちにはどんなことができるでしょうか。日本では、特に障害者福祉の観点から社会的包摂のあり方が議論されてきました。1970年に成立した障害者基本法では、障害の有無にかかわらず全ての人が互いの人権と個性を尊重しながら共生する社会を「共生社会」とし、この実現に向けた取り組みの推進を掲げています。
共生社会において重要な考え方に「障害の社会モデル」があります。障害をもつ人が社会生活を営む上での困難を、その人の心身の機能と社会的障壁の相互作用によって生じるものと捉え、社会的障壁は社会全体で取り除くべきものであるとする考え方です。
障害をもつ人は、日常生活でさまざまな障壁に直面しています。例えば、車椅子を使っている人が、駅構内の数㎝の段差を乗り越えることができず電車を使えないケース(物理的バリア)、入社試験で介助者の付き添いが認められず受験ができないケース(制度のバリア)、聴覚に障害のある人が、町内放送の災害情報を聞き漏らしてしまうケース(文化・情報のバリア)、障害に対する差別や無理解から不当な扱いを受けるケース(心のバリア)などです。
「障害の社会モデル」では、段差を越えられないという物理的バリアに対して、鉄道会社がエレベーターを設置することで障害を解消することができると考えます。同じように、制度のバリアは制度を変えることで解消できますし、文化・情報のバリアはテレビの字幕や手話放送を整備することで解消できます。心のバリアは学校教育や研修によって解消できるでしょう。こうした障害を一つひとつ取り払っていくことで、誰もが就きたい仕事に就き、趣味やスポーツを楽しみ、地域社会で健やかに暮らすことができるようになるはずです。
このモデルは障害をもつ人だけでなく、日本以外の国にルーツをもつ人や高齢者、さまざまな人に当てはめて考えることができるでしょう。誰かの困りごとを社会全体の課題と捉え、みんなで力を出し合って解決すること、これが共生社会のあるべき姿です。
【多文化共生社会の課題】
グローバル化が進む中、日本にはすでに多様な国や民族にルーツをもつ人々が暮らしています。異なる文化的背景をもつ人々がともに生きる社会をどう作っていくのか、すなわち多文化共生が今後の大きな課題となってくるでしう。2023年1月時点での日本の総人口に占める外国人比率は2.5%で、10年前の1.6%から大きく上昇しています。人口減少が進む日本では、今後さらにこの割合は増加していくと見られています。
日本で暮らす外国人や外国にルーツをもつ人の中には、習慣や言語の違いから地域に解け込めず孤独感を抱えている人、言語の壁に阻まれて公的サービスにつながれず困っている人も少なくありません。こうした困りごとを減らすために、地域での交流の機会を増やして互いの理解を促進したり、公共施設を多言語化したりと、社会的包摂を進めるための取り組みが行われています。
しかし、国の政策は必ずしも多文化共生の流れには向かっていません。2023年の入管法改正では、専門技能を持った外国人受け入れに門戸を開く一方で、3回目以降の難民申請者を強制送還できるようにするという改正がなされ、難民申請者の人権を守る立場から批判が噴出しています。国際社会の一員として、本当の意味での多文化共生社会を国ぐるみで作っていけるかどうかが問われています。
【差別や偏見に抗う】
多様で包摂的な社会を作ることは、差別や偏見に抗うことでもあります。
2016 年、神奈川県の障害者福祉施設「津久井やまゆり園」で元職員の植松聖死刑囚が入所者19人を刺殺、職員を含め計26人に重軽症を負わせる事件が起こりました。この事件は、「障害をもつ人はいなくなるべきだ」という差別意識によって引き起こされたものでした。また、2021年に名古屋入管でウィシュマ・サンダマリさんが亡くなった事件では、入管側の非人道的な行いが明るみに出ました。
この二つの事件の背景には、「自分とは異なる人は人間として尊重するに値しない」という多様性や包摂とは真逆の価値観があるのではないでしょうか。私たちには「すべての人には尊厳を持って生きる権利があるのだ」という当たり前の価値観を実現できる社会を作っていく責任があります。