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パレスチナで何が起きてきたのか

【占領、迫害、抵抗の歴史】
2023年10月7日、パレスチナのガザ地区に拠点を置くハマスがイスラエルを襲撃し約1200人を殺害、約240人を人質に取りました。これをきっかけにイスラエルがガザ地区への軍事侵攻を開始。2万人を超える人々が犠牲になっています。
一体なぜ、罪のない大勢の人々が命を落とし、帰る家を失うことになったのでしょうか。パレスチナで現在起こっていることを理解するために、パレスチナ問題の歴史を振り返ってみましょう。

【パレスチナ問題とは】
地中海に面し、現在のエジプトとヨルダン、シリア、レバノンに囲まれた地域は歴史的にパレスチナと呼ばれてきました。キリスト教、イスラム教、ユダヤ教の聖地であるエルサレムが位置する重要な土地です。この地域には現在、イスラエルとパレスチナというふたつの「国」(ただし正確には、パレスチナは国連に認められた独立国家ではありません)が存在しています。ユダヤ人国家であるイスラエルとパレスチナや周囲のアラブ勢力の間では頻繁に軍事衝突が起こり、世界がこれを注視してきました。
つい百年ほど前まで、パレスチナの地では異なる宗教・民族の人々が平和に共存していました。転機となったのは、十八世紀末にヨーロッパのユダヤ人を中心にして起こったシオニズム運動でした。

【聖地を追われたユダヤ人】
シオニズム運動に至るユダヤ人の歴史を見ていきましょう。
パレスチナの地には古代からユダヤ教を信仰するユダヤ人が暮らしていました。ユダヤ人の王国は度々途絶えつつローマ帝国時代まで存続しますが、ローマの支配に抵抗して起こしたユダヤ戦争で敗北し、パレスチナの地から追放されました。以降、ユダヤ人たちは散り散りになり、各地で小さなコミュニティを形成して暮らしていくことになります(これをディアスポラと言います)。
キリスト教が覇権を握ったヨーロッパでは、異教徒であるユダヤ人は苛烈な迫害を受けました。長い間、金融業など限られた職業にしか就くことを許されず、住む土地も制限されたのです。安住の地を求めるユダヤ人たちの願いは、19世紀末にシオニズム運動、つまり、聖地エルサレムを中心にユダヤ人国家を建国することを目指す国際的な運動へと発展していきます。

エルサレム、イスラム教の聖地「岩のドーム」とユダヤ教の聖地「嘆きの壁」

【イスラエル建国前夜】
一方のパレスチナの地では、16世紀以降オスマン帝国のもとで長きにわたってキリスト教徒、イスラム教徒、ユダヤ教徒が共存していました。19世紀に西欧諸国が進出してきたことでオスマン帝国は存亡の危機に陥ります。同時期に、ユダヤ人の間で国内のアラブ民族から独立を目指す動きが出はじめます。
第一次世界大戦が勃発し、戦争を有利に進めたいイギリスはこのパレスチナの地を外交の駒に利用します。アラブ人にはアラブの独立国家建国を、フランスには英仏二カ国による分割を、ユダヤ人コミュニティにはシオニズムへの支持をそれぞれ密約したのです。悪名高い「三枚舌外交」を駆使してオスマン帝国に勝利したイギリスは、パレスチナを統治下に置きました。
第二次世界大戦中には、ナチス・ドイツによるユダヤ人の迫害と大量虐殺(ホロコースト)が世界に衝撃を与えます。終戦後の西側諸国は、これまでのユダヤ人差別の過ちを償うため、また中東のイスラム勢力に対する防波堤として、パレスチナにユダヤ国家を建国することを決めます。

【イスラエル建国、戦争、破局へ】
1947年の国連総会で、パレスチナの地を分割してユダヤ人国家とアラブ人国家を造り、エルサレムは国連の管轄下に置くという「パレスチナ分割決議」が採択されました。しかし、この決議にアラブ側は反発します。当時全人口の3分の1程度だったユダヤ人に56%もの土地が与えられることになったからです。両者の緊張が高まるなか、1948年にはユダヤ側がイスラエル建国を宣言。対するアラブ諸国がイスラエルに進攻し、第一次中東戦争へと発展します。
イスラエルの建国と戦争によって、もともと暮らしていたパレスチナ人(パレスチナに暮らすアラブ系住民)の村200以上が破壊され、70万人以上が故郷を追われました。彼らはヨルダン川西岸やガザ地区、またヨルダン、シリア、レバノンといった近隣諸国へと逃れ、難民キャンプで貧困にあえぐ生活を余儀なくされます。1948年に起こったこの出来事をパレスチナの人々は「ナクバ(破局)」と呼び、今なお多くの人が故郷へ帰ることを切望しながら生活しています。

【軍事占領と入植地の拡大】
その後もアラブ人国家の建国はなされないまま、イスラエルとアラブ諸国との衝突は続きます。1967年の第三次中東戦争で、アメリカの支援を受けたイスラエルはアラブ勢力を圧倒し、ついに国際法上認められた範囲を大きく超えてその領土を拡大します。パレスチナ人に残されたのはヨルダン川西岸地区とガザ地区というわずかな土地だけでした。これらの地区も軍事占領され、事実上パレスチナ全土がイスラエルの統治下に置かれました。
さらにイスラエルは、占領下のヨルダン川西岸地区とガザ地区の土地を接収してユダヤ系の住民を住まわせる入植地の建設を進めます。ヨーロッパのユダヤ人が迫害から逃れ、安住の地を求めて掲げたはずのシオニズムは、苛烈な民族主義・植民地主義という側面を剥き出しにしてパレスチナ人を迫害に追いやったのです。

【抵抗運動からオスロ合意へ】
軍事占領下のヨルダン川西岸地区とガザ地区では、人々は劣悪な環境のもとで自由を奪われ、社会や経済の発展も阻害されました。
1987年、パレスチナ人の不満が爆発し、ガザ地区で「インティファーダ(一斉蜂起)」と呼ばれる反占領運動が起こります。武器を持たない人々がイスラエル兵に石を投げつけて抵抗し、世界にパレスチナの惨状を伝えたのです。一方パレスチナの外では、エジプトなどの支援によってパレスチナ解放をめざすパレスチナ解放機構(PLO)がイスラエルに対抗する武力闘争を展開します。1991年にはイラクで湾岸戦争が勃発し、中東の緊張がさらに高まります。
こうした状況を受けて国際社会がようやく重い腰を上げました。1993年、アメリカとノルウェーが仲介して、イスラエルのラビン首相とPLOのアラファト議長の間で「オスロ合意」が締結。パレスチナに暫定自治政府を置き、イスラエルはヨルダン川西岸地区とガザ地区から段階的に軍を引き上げるという取り決めがなされました。

【終わらない抑圧と暴力】
これで事態は好転するかに思われましたが、オスロ合意は実質的にはイスラエルの植民政策を追認するものに過ぎませんでした。遅々として改善されない状況にパレスチナの人々は不満を募らせます。2000年にはイスラエル右派のシャロン元国防相がエルサレムのイスラム教の聖地に足を踏み入れたことで民衆が暴徒化、怒りはパレスチナ各地へ飛び火し、軍事衝突が再燃してしまいます。イスラエルがヨルダン川西岸地区との境界に分離壁を建設したことで、和平への道はさらに遠のきました。
パレスチナでは、2006年にPLO主流派であるファタハに替わってイスラム政党ハマスが選挙に勝利しました。イスラエルに融和的だったファタハとは違い、ハマスはイスラエルに対して強硬な姿勢で自治を進めようとします。2007年にハマス政権はガザ地区に隔離される形になりました。これ以降、イスラエルはガザ地区の封鎖を一層強めます。物品や人々の出入りが厳しく制限され、電気や水道や医療物資もままならないガザは「天井のない監獄」と呼ばれるようになりました。
その後もイスラエルはガザ地区への空爆を何度も繰り返し、住民がデモを起こせば狙撃してこれを鎮圧、命を落とす人や手足の切断を余儀なくされる人は後を断ちません。ヨルダン西岸地区では入植がますます進み、パレスチナ人がいわれのない罪で逮捕され、裁判にもかけられずに長年拘禁されることが常態化していました。そのような状況の中、2023年10月7日、ハマスがイスラエルを襲撃します。これをきっかけとして、イスラエルによるガザへの無差別かつ徹底的な攻撃が開始されることとなりました。

【問題の責任は誰に?】
ハマスがイスラエルの民間人を襲撃した行為は許されるものではありません。しかし、封鎖されたガザ地区で何万人もの民間人がイスラエル軍に一方的に殺されている現状はそれで正当化されるのでしょうか。国連のグテーレス事務総長は昨年10月24日の段階でイスラエルの侵攻を「明白な国際人道法違反」と言及し、危惧を示しています。
振り返れば、1948年から現在に至るまで、イスラエルはパレスチナ人に対して一貫して迫害や虐殺を続けてきました。これはユダヤ人だけの国家を完成させるためにパレスチナの土地からアラブ民族を一掃する「民族浄化」だと指摘する専門家もいます。また、国際人権NGOアムネスティは、イスラエルによる軍事占領をアパルトヘイト(人種隔離政策)だと厳しく非難しています。一体なぜ70年以上にわたってこのような状況が進行してきたのでしょうか。
欧州のユダヤ人迫害や戦後処理の問題を、パレスチナの土地と人々に押しつけた欧米諸国は、これまでイスラエルによるパレスチナ人迫害を黙認、あるいは加担してきました。軍事・財政の両面でイスラエルを手厚く支援し続けてきたのがアメリカで、1948年から2022年までの支援の総額は1580億ドル(日本円で23兆円)にのぼります。アメリカの政界・財界は現在もシオニズムを支持するコミュニティとのつながりが強く、大統領選の重要な票田にもなっているのです。今回の軍事侵攻でも、バイデン大統領はガザに対する人道支援を表明する一方で、同時にイスラエルに兵器を供与しています。そしてまた、日本もイスラエル支援国であることを忘れてはなりません。

2023年10月18日、イスラエルを訪問したバイデン大統領(左)と出迎えるネタニヤフ首相(右)

【虐殺を止めるのは私たちの声】
侵攻開始以来、世界の主要都市ではイスラエルに停戦を求めるデモが盛んに行われ、イスラエルを支援する企業に対するボイコットなどの抗議行動が広がりつつあります。各国のユダヤ系の人々や一部のイスラエル人からもイスラエルの軍事侵攻を非難する怒りの声が上がっていることは特筆すべきでしょう。各国政府が及び腰な中、私たち一人ひとりが問題をよく知り、行動を起こすことが必要です。

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