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パンダとはどんな生きものか

【パンダ外交、絶滅危機、人気者が持つ複雑な背景】
今年2月、上野動物園のシャンシャンを始め、4頭のパンダが中国に返還され、大きな話題になりました。愛くるしい姿で人気者のパンダですが、親善大使としてのパンダ、絶滅危機に瀕するパンダなど様々な側面を持っています。人間とパンダの関わりの歴史を紐解いてみました。

【今年、4頭が中国へ「帰国」】
全世界の動物園などで600頭以上が飼育されているパンダですが、現在、その全ての所有権は中国にあり、それ以外の国では「繁殖の学術研究」を目的に中国から貸与を受けるという形でパンダを飼育しています。そのため、貸与期間を過ぎたパンダは中国へ返還されることになります。
現在、日本でパンダを飼育している動物園は東京の上野動物園、和歌山の白浜アドベンチャーワールド、兵庫の神戸市立王子動物園の3園です。今年2月21日に、上野動物園から中国に返還されたシャンシャンは2017年6月12日生まれのメス。実に29年ぶりに上野動物園で誕生し、無事に成長した待望のパンダで、返還の時点では5歳でした。本来ならば満24ヶ月で中国に返還される予定でしたが、コロナ禍の影響で難航した末の「帰国」となりました。
シャンシャンが帰国した翌日には、アドベンチャーワールドで飼育されていた3頭のパンダも返還されています。これまで日本で16頭もの子どもの父親になった永明(エイメイ・30歳オス)と、双子の桜浜(オウヒン・8歳メス)、桃浜(トウヒン・8歳メス)です。シャンシャンは四川省にある保護研究センターの研究拠点、白浜の3頭は同じく四川省・成都の繁殖研究基地で飼育されることになりました。シャンシャン、桜浜、桃浜はパンダの保全プログラムに参加し、子どもを産み育てることが期待されています。
2023年末には、神戸市立王子動物園の唯一のパンダ、旦旦(タンタン・28歳メス)の返還も決まっており、同園では新しいパンダの迎え入れに向けて準備を進めています。

【世界に発見されたパンダ】
パンダの生息地は、四川省を中心とした中国南西部の山岳地帯です。もともと地元住民の間でのみ知られる珍しい動物でしたが、1869年に中国を訪れたフランスの宣教師が毛皮と骨を本国に送ったことをきっかけに、クマとは似て非なる謎めいた動物として欧米で注目を集めました。当時、「パンダ」という名前は1820年代にヒマラヤで発見された哺乳類を指す言葉でしたが、中国で発見された大型哺乳類はそれと近しい種であることがわかり、「ジャイアントパンダ」と名付けられました。それに伴い、もとのパンダは「レッサーパンダ」と呼ばれるようになりました。
その後、欧米から中国に度々パンダ猟を目的とする探検隊が訪れ、パンダの毛皮や骨、そして生きたままのパンダを持ち帰るようになります。持ち帰られたパンダは愛くるしい姿でたちまち人気者になり、欧米諸国の動物園にとって憧れの存在となっていきました。
欧米での人気の高まりや狩猟の増加とともに、それまではさほどパンダに関心を抱いていなかった中国政府もパンダの保護に乗り出します。そしてついに世界各国にパンダ禁猟の通達が出され、1939年にアメリカに渡ったパンダを最後に、中国からのパンダの持ち出しには中国政府の許可が必要になりました。

【「パンダ外交」のはじまり】
中国が国を挙げて保護する財産となったパンダですが、日中戦争下の1941年に初めて外交に利用されることになります。中華民国の蒋介石主席の夫人・宋美齢が、アメリカのブロンクス動物園にパンダ2頭を贈呈したのです。公募によって「パンディー」と「パンダー」と名付けられた2頭はアメリカの人々に熱烈に歓迎され、日本の軍事侵攻に対抗する両国の結びつきを強める役割をはたしました。
第二次世界大戦の終戦後、内戦により蒋介石率いる中国国民党が台湾に逃れ、毛沢東ら中国共産党による中華人民共和国の時代が始まります。共産党政権のもと、新たに始まった冷戦下でもパンダ外交は依然として中国にとって大きな意味を持っていました。1957年から1971年の間に、中国政府は同じ社会主義国であるソ連と北朝鮮に複数回に渡ってパンダを贈っています。1972年にはニクソン大統領の訪中をきっかけに米中の関係改善が進みましたが、この際も2頭のパンダがアメリカに贈られています。

【日中友好のシンボルに】
同じ1972年、田中角栄首相は日本の総理大臣として戦後初めて中国を訪れて日中共同声明に調印しますが、その直後に発表されたのが、中国から2頭のパンダが贈られるということでした。こうして同年10月、日中友好のシンボルとしてカンカンとランランが上野動物園にやってきます。上野動物園には連日長蛇の列ができ、パンダ関連の商品や映画も多数作られるなど、社会現象を巻き起こしました。
ただし、パンダブームはプロパガンダ(政治的意図を持った宣伝行為)のみによってもたらされたわけではありません。日本パンダ保護協会の名誉会長も務めるタレントの黒柳徹子さんは、日中国交正常化以前からパンダを度々国内のメディアで紹介していました。また、1970年創刊のファッション誌an・anでも、創刊号からマスコットキャラクターとしてパンダが採用されています。このように、カンカンとランランの来日以前から、パンダの愛くるしい姿は日本の人々の心を囚えていたようです。
日本にとって3頭目となるパンダのホアンホアンがやってきたのは1980年、中国へのODA(政府開発援助)が開始された翌年のことでした。ホアンホアンは日中国交正常化10周年となる1982年に贈られたフェイフェイとの間に人工授精で子どもを設け、新たなパンダブームを巻き起こしました。
日中関係は国際情勢のなかで変化し、関係が冷え込む局面ではパンダの来日が少なくなる傾向も見られますが、パンダを通した交流は現在まで途切れることなく続いています。

上野動物園にやってきたカンカン・ランラン(1972年)
出典:上野動物園公式サイト

【ワシントン条約と「レンタル制」】
「パンダ外交」と並んでパンダを知る上で欠かせないのが、野生動物の保護という観点です。中国の貴重な外交資源として利用されるようになってからも、野生のパンダが置かれた状況は厳しいものでした。毛皮が国内外のマーケットで高値で取引されていたため、密猟が後を絶たなかったのです。それに加えて、1970年代にはパンダの主食である竹が一斉に枯死するという現象が起こり、野生パンダの個体数は危機的なレベルまで落ち込みました。こうした状況と並行して、欧米を中心とした国際社会では野生動物の保護をめぐる動きが活発化し、1973年には「絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約」いわゆるワシントン条約が採択されます。
ワシントン条約では、絶滅のおそれのある動植物種をその危険度に応じて付属書Ⅰ、Ⅱ、Ⅲに指定し、国際取引を制限しています。1981年に中国がワシントン条約に加盟すると、パンダもその保護対象となりました。1984年には希少動物の売買等を禁じる付属書Ⅰに記載されたため、商業目的での国際取引が全面禁止となりました。
それまで贈与という形でパンダを国外に送り出していた中国も方針転換を迫られます。そこで新たに考案されたのが、中国が所有権を持ったまま国外に貸し出すというレンタル制でした。これは、自国にパンダを呼びたい場合、繁殖研究を行うという名目で中国から借り受け、かわりにレンタル料を中国に支払うというものです。日本でも80年代後半の地方の博覧会などにこの方法でパンダを招聘していますが、短期的なレンタルの実態は繁殖研究という名目とかけ離れたものでした。
レンタル制によってワシントン条約が形骸化することへの懸念から、1997年のワシントン条約締約国会議では、「野生で捕獲されたパンダの輸出を認可しないこと」、「レンタル料は野生パンダの保護に役立てること」が通達されました。これと前後して、パンダの「ブリーディングローン制」が注目されるようになります。ブリーディングローンとは、動物園同士で取り決めた繁殖計画のもとで動物を貸し借りする仕組みです。あくまで繁殖研究が目的であり、繁殖が成功すれば野生パンダの保全にもつながるため、ワシントン条約に抵触せずにパンダの貸し借りを行うことができるのです。
パンダのブリーディングローン制度を世界で初めて利用したのが、和歌山県のアドベンチャーワールドでした。アドベンチャーワールドと中国の成都ジャイアントパンダ繁殖研究基地との間で日中共同繁殖研究に取り組むこととなり、1994年9月にオスの英明とメスの蓉浜(ヨウヒン)がやってきました。アドベンチャーワールドでは、これまで実に17頭ものパンダの赤ちゃんが誕生しています。兵庫県の神戸市立王子動物園などがこれに続き、ブリーディングローン制度はパンダの貸借を行う際のスタンダードとなりました。パンダを借り受けた側が中国側に対して支払うレンタル料の相場は1組のペアに対して年間100万ドル(1億円前後)ともいわれ、中国でパンダの保全や繁殖研究に役立てられています。

【絶滅危機は脱した?】
中国がワシントン条約に加盟してから40年以上が経ちました。この間には商取引の禁止や繁殖研究だけでなく、パンダの生息地を自然保護区や国立公園として保護する取り組みも進んできました。ジャイアントパンダ保護研究センターによると、1980年代には1114頭だった中国の野生パンダの個体数は、2015年の時点で1864頭まで回復したといいます。こうした状況の変化を受けて、2021年、中国当局はパンダの絶滅危惧種指定を解除すると発表しました。
一方で、依然としてパンダの生息環境は不安定です。森林破壊などによって野生パンダの生息地はかつての1%ほどしか残っていないとされています。また、パンダの重要な栄養源であるタケノコを食べてしまうイノシシの増加など、他の野生動物がパンダに悪影響を及ぼす可能性も指摘されています。繁殖研究や施設での保護によって個体数が増えたとしても、一度バランスが崩れた生態系をもとに戻すのは並大抵のことではありません。
ある意味で、パンダほど人間にもてはやされ、翻弄されてきた動物は他にいないでしょう。動物園でパンダを目にすることがあれば、愛くるしさや野生動物としての魅力とともに、その背景にも思いを巡らせてみたいものです。

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