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原発処理水の海洋放出をめぐって

【国民や国際社会の理解が肝要】
東日本大震災以降、東京電力福島第一原子力発電所には、現在も放射性物質による汚染水が増え続けています。汚染水は浄化処理されて処理水として同原発で保管されていますが、スペース的に限界が近づいており、政府は処理水の安全性を確認した上で、海洋への放出を開始しました。人や環境への影響は大丈夫なのでしょうか。処理水の海洋放出をめぐる一連の動きを調べてみました。

【増え続ける放射性物質を含む処理水】
2011年3月11日に発生した東日本大震災で、稼働中の福島第一原発の原子炉1~3号機は、地震とその後に発生した津波の影響で全ての電源が停止しました。このため、原子炉内部の冷却装置がストップし、核燃料が溶け落ちるメルトダウンという現象が起きました。溶け落ちた核燃料を冷やすために注水が続けられたことで次第に原子炉内の温度は低下し、核燃料が溶け出す危機はひとまず回避されました。しかし、核燃料を冷やすための注水は現在も続けられています。さらに地下水や雨水が原子炉建屋内に流入しているため、放射性物質を含んだ汚染水は今も1日に約90tものペースで発生しています。
汚染水に含まれる放射性物質は、ALPS(多核種除去設備=アルプス)と呼ばれる高度処理システムで放射性物質の大半を除去しています。しかし、トリチウムなど一部の放射性物質は取り除くことが難しいとされています。トリチウムは、三重水素と呼ばれる水素の仲間です。トリチウムは水の一部として存在しているため、ろ過などの工程で取り除くことは困難です。
トリチウムは自然界にも広く存在し、大気中の水蒸気や雨水、海水、水道水にも微量ながら含まれています。私たちは日々、呼吸や飲食を通じ、トリチウムを摂取しています。人や魚介類などの生物に取り込まれたとしても、水と一緒に比較的速やかに体外に排出され蓄積されません。トリチウムが発する放射線のエネルギーはとても微弱とされ、日本を含む世界各地の原子力施設でも現地の基準を満たすことを前提に、海や大気に放出されています。トリチウムの濃度を低く保てれば、生物に対する影響・リスクは極めて低いと考えられています。

【処理水の保管タンクが2024年春に限界】
福島第一原発のタンクで保管されている処理水は、2023年6月末で約137万tにも達し、約1000基あるタンクの全容量の約98%を占めています。このままのペースで汚染水が増加し続けると、2024年の2月から6月頃に満杯になる見込みです。
東京電力によると、福島第一原発の敷地内にはまだ森林などがあり、伐採してスペースを作り、処理水を保管するタンクを増設することは物理的には不可能ではないということです。しかし、新たにスペースが生まれても、今後予定されている核燃料デブリ(溶けた核燃料や炉内で溶けた金属などが固まったもの)や放射性物質の保管に使う方針で、廃炉作業を着実に進めていくためには、これ以上処理水の保管タンクを増やし続けることはできないというのが実情です。このため、政府は海洋放出の方針を決めました。
実は、現在たまっている処理水137万tのうち約7割は〝処理途上水〞とよばれるもので、トリチウム以外の放射性物質も国の基準値を上回っています。この状態について、東京電力は「事故直後は汚染水の発生量が多く、ALPSのろ過フィルターにも故障が発生し、処理仕切れなかったため」と説明しています。

【海洋放出で、人や環境への影響は?】
政府はALPS処理水の海洋放出の手順をどのように計画してきたのでしょうか。その工程は
「①再浄化処理(二次処理)→②処理水の測定・分析→③海水希釈→④放出・モニタリング」の4つの段階からなります。
前述のように、現在保管されている処理水の7割は、このままでは放出するための基準を満たしていない〝処理途上水〞です。このためALPSを用いてトリチウム以外の放射性物質の濃度が国の基準を下回る濃度になるまで処理を続けます(再浄化処理)。
再浄化処理された水はかき混ぜ、均質にした上で、基準を満たしているか実際に測定して確認します(処理水の測定・分析)。
基準を満たしていることが確認できた水は、トリチウムの濃度が国の規制基準の40分の1を下回るよう、処理水の100倍以上の量の海水と混ぜ合わせて薄めます(海水希釈)。
薄められた処理水は、放水立杭と呼ばれる設備にためられた後、海底トンネルを通じて沖合1㎞先の放出口から海に放出されます。しばらくは立て杭にためた水に含まれるトリチウムの濃度を改めて測定してから放出する手順をとり、さらにトリチウムの拡散状況や海洋生物の状況をモニタリングし、その結果をホームページで公表します(放出・モニタリング)。
東京電力は2021年、処理水を海中に放出した場合どのように拡散するか、最新の気象データを用いて海水の動きを調べてシミュレーションしました。日本人の被ばく線量の上限として環境省が定めるのは年間1ミリシーベルト(mSv)ですが、東京電力のシミュレーションの結果、人間へは約50万分の1mSv~3万分の1mSv、また動植物へは、国際放射線防護委員会(ICRP)が定める基準値の約6万分の1~120分の1の影響にとどまるという評価がなされました。

【「海洋放出計画は安全基準に合致」とIAEAが発表】
第二次世界大戦後、核物質は原子力発電のような平和目的に利用される一方、核兵器製造のような軍事目的に使用される懸念が強まり、原子力は国際的に管理すべきだという考えが広がりました。1953年の国連総会でのアイゼンハワー米大統領の演説(Atoms for peace)を契機に、国際原子力機関(IAEA)創設の機運が高まり、IAEA憲章が採択された後の1957年7月にIAEAが発足しました。現在、加盟国は176カ国になっています。
IAEAは2021年4月、日本政府から処理水の安全性についての依頼を受け、欧米や中国、韓国などの専門家らで調査団を結成し、2年間にわたり東京電力、経済産業省、福島原発事故を教訓に設立された原子力規制委員会などへの聞き取りや、福島第一原発の現地視察を実施して検証を続けてきました。
IAEAは検証の結果をまとめ、2023年7月にグロッシー事務局長から岸田首相に報告書を手交しました。報告書では「福島第一原発の処理水を海洋放出する政府や東京電力の計画は関連する国際安全基準に合致している」、「ALPS処理水の放出は、人および環境に対し放射線が無視できるほどの影響となる」などと結論づけました。
また、原子力規制委員会は、6月に福島第一原発の放水設備で処理水の代わりに海水を流して最終的な検査を実施しました。処理水の移送‒海水希釈‒放水の各設備の働きをチェックし、また緊急時に放水を停止する緊急遮断弁の性能を確認し、「放出設備に問題はなかった」という終了証を東京電力側に手渡しました。

報告書を岸田首相に手交するIAEAグロッシー事務局長

【重みをもつIAEAの報告書】
IAEA報告書の発表を受けて、アメリカは「科学的根拠に基づく透明性の高いプロセスを歓迎する」という声明を発表しました。また、今春に福島第一原発へ現地視察団を派遣した韓国は「ALPSの性能は確認した。異常が起きた場合でも、浄化・希釈されていない汚染水が放出されないように多様な装置が確保されている。IAEAの報告書を尊重する」と表明しました。
さらに欧州連合(EU)は、これまで福島県産の一部の水産物やキノコを輸入する際に放射性物質の検査証明書の添付を義務付けていましたが、これらの措置を撤廃すると発表しました。これらの国々からの〝お墨付き〞を、処理水放出に不安を抱く国内外の人々の理解を得るうえでプラスにしたいというのが政府の考えです。
海洋放出は数十年は続く見通しで、この長期にわたる作業を計画通りに、トラブルなしに進められるのかが問われています。「想定以上のことが発生しても冷静に対処できるのだろうか」「トラブルが発生しても不都合なことも含め、すべて透明に自主的に公表するのだろうか」――原発事故発生以来、多くの人々が政府や東京電力の対応に抱いた不信をどのように解消するかが問われています。

【漁業関係者や国際社会からの反発】
しかし、国内の漁業関係者のほか、海外からも強い反発の声が上がりました。
福島県漁業協同組合連合会や全国漁業協同組合連合会は、海洋放出反対の姿勢を崩していません。漁連幹部は西村経産相、岸田首相と面談したのち「科学的な安全に関する理解は一定程度できた。しかし科学的な安全と社会的な安全は違う。しっかりした安心を得られない限り、反対の立場は崩さない」と強調しました。
海外からも反発の声が相次ぎました。放射性物質の投棄禁止などを定めた南太平洋非核地帯条約を締結した、南太平洋18の国・地域で構成される太平洋諸島フォーラムは、「強い懸念を表明する」との声明を出しました。また中国では「海洋放出が強行されれば日本の食品輸入規制を強化する」と発表し、香港も「大規模な海産物の禁輸に踏み切る」と警告しました。
こうした状況下、政府は8月24日、IAEAの報告書などをふまえ、「関係者に一定の理解を得た」として処理水の海洋放出に踏み切りました。漁業関係者らが「見切り発車だ」と不安を隠せない中でのスタートでしたが、中国は放出開始後すぐに日本からの水産物の輸入を全面的に停止しました。
2022年の日本の水産物輸出総額のうち、中国向けは全体の22.5%を占めており、日本の水産業界にとって大きな打撃です。政府は処理水の海洋放出に伴い海産物の売上が減るなどの被害に備えて800億円の基金を設けていましたが、中国の水産物輸入禁止措置が長引くと判断して、新たに207億円を支出し、計1007億円の予算で対応に取り組んでいます。

【科学的説明と透明性のある対話を】
8月の米韓首脳会談、9月の東南アジア諸国連合、インドを議長国とするG20首脳会議といった国際会議の場にも岸田首相は出席し、処理水の放出計画を説明し、国際社会の懸念払拭に努めました。一連の国際会議では中国が処理水を「汚染水を放出している」という言葉で批判しましたが、各国首脳は処理水放出に理解を示しました。
処理水の海洋放出後、東京電力と環境省、福島県は放水口から3㎞圏内と圏外の数十ヵ所で採取した海水の放射性物質の濃度を、水産庁は放水口から数㎞内で獲って調べた水産物の放射性物質の濃度を測っています。これらのモニタリング調査では、放水停止基準とする1リットルあたり700ベクレルを大幅に下回る同10ベクレル以下の数値が続いています。政府と東京電力は今後も継続して合理的な説明と透明性のある対話を尽くし、処理水を海洋放出することが廃炉を進める上での重要なプロセスであり、復興に向けて大きく前進するものであるという道筋を明確に示すことが必要です。
そして水産業に携わる人々の損害が最小限に抑えられるよう、最大限務めることが肝要です。

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