【31文字で表現する文学の魅力とは】
今、SNSなどで短歌を詠み、投稿する若者が増えています。一体なぜ、五・七・五・七・七の31音が現代の若者の心を掴んでいるのでしょうか。その背景には、短いフレーズで共感を集めるSNS文化との相性の良さがあるようです。伝統的な和歌にはじまる短歌の歴史をたどり、昨今の短歌ブームに迫ります。
【短歌・俳句・川柳身近な「短歌型文学」】
テレビ番組では芸能人たちが俳句の腕前を競い、お茶のペットボトルには「サラリーマン川柳」が載っていて、SNSを開けば「#tanka」のハッシュタグでみんなが短歌を投稿している……。私たちの身の回りには、17音や31音の短い文学があふれています。近年は競技かるた(和歌)や俳句を題材にした漫画・映画もヒットし、敷居の高い伝統文学というより、サブカルチャーのひとつとして若者の間にも浸透している様子が伺えます。
短歌、俳句、川柳はまとめて短詩型(たんしけい)文学とも呼ばれます。例外はあるものの、一般には五・七・五の形式で季語があるものが俳句、季語がないものが川柳、五・七・五・七・七の形式のものが短歌とされています。これら中でも、短歌は最も古くから存在しています。
【和歌の歴史】
日本では、古来から五・七・五・七・七の形式に自分の思いを託した和歌が詠まれてきました。一番最初に和歌を詠んだのは須佐之男命(スサノオノミコト)、つまり人間ではなく神様だという伝説もあります。その歌は〈八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣つくるその八重垣を(出雲の雲の幾重にもめぐらせて、その中に自分の妻を隠してしまおう)〉というもので、古事記や日本書紀にも登場します。奈良時代から平安時代には主に貴族階級のたしなみとして親しまれ、平安時代には天皇の命令によって秀でた歌を広く収録した勅撰和歌集が編まれるようになりました。平安末期から鎌倉初期には、飛鳥時代から鎌倉時代にかけての百人の歌人の名歌を一首ずつ集めた「小倉百人一首」が藤原定家によって編纂され、現在でも親しまれています。この頃の短歌は、恋心や無常観といった情緒と四季折々の自然のありさまを詠んだ叙情的なものが多く、男女の恋のやりとりで交わされるラブレターのような役割もありました。
鎌倉時代に入り、武家社会が訪れるとともに貴族文化であった和歌はあまり詠まれなくなります。それに代わって室町時代には五七五・七七・五七五……と句を継いでゆく連歌が庶民の文化として流行し、やがてそこから俳句や川柳が誕生します。
和歌は歴史上、天皇制と強く結びついた文化でもあります。日本の国歌「君が代」は、最古の勅撰和歌集「古今和歌集」に収録された詠み人知らずの和歌に旋律をつけたものですし、現在も皇室では年の初めに和歌を詠みあう「歌会始(うたかいはじめ)」という行事が行われています。和歌、そしてその形式を引き継いだ短歌が、古代から現在まで基本的な形を変えずに存続しているのは、こうした体制によって保護されてきたからだとも言えるでしょう。
【和歌から現代短歌へ】
明治時代には、正岡子規が短詩型の改革に乗り出し、伝統的な美意識を重んじる和歌の形式を現代的な短歌へと生まれ変わらせるために奮闘しました。子規の短歌には〈久方のアメリカ人のはじめにしベースボールは見れど飽かぬかも〉のように、それまでの和歌では使われなかった新しい言葉が積極的に用いられています。明治末期に与謝野鉄幹が創刊した歌誌『明星』では、『乱れ髪』で女性の激情を詠んだ与謝野晶子や『一握の砂』で日常的な主題をあるがままに詠んだ石川啄木など、個性豊かで自由な作風の歌人たちが活躍しました。昭和初期には労働者の過酷な現実を描くプロレタリア文学が短歌にも波及し、プロレタリア短歌運動が起こります。この時代の短歌の潮流は、歌人たち個人の感性や置かれた状況を鮮やかに切り取る方向へと展開していったのです。
第二次世界大戦を経て1960年代に起こった前衛短歌運動では、塚本邦雄、岡井隆、寺山修司らさらに挑戦的な主題や表現に挑戦する歌人が現れます。塚本邦雄は戦後の混乱と苦境を〈日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係りも〉という歌に表現しました。新しい短歌を模索する動きの中で、それまでの書き言葉ではなく話し言葉を用いる口語短歌も受け入れられるようになっていきます。
【「サラダ記念日」ブーム】
一般の人々が広く短歌に親しむきっかけとなったのが、昭和末期の1987年、俵万智の歌集『サラダ記念日』の刊行でした。〈「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日〉に代表されるような、等身大の言葉で日常の感情を口語でうたった短歌は多くの人の共感を呼び、累計200万部以上を売り上げる大ヒットを飛ばします。さらに刊行翌年には、読者投稿によって寄せられた短歌を集成した『わたくしたちのサラダ記念日』も刊行されています。『サラダ記念日』のヒットによって、短歌を読んで共感するだけでなく、自分のありふれた日常を短歌にすることに楽しみを見出す人も増え、短歌は時代のトレンドに躍り出たのです。
俵万智と同世代の歌人に、〈サバンナの象のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい〉といったとぼけた味わいの作風で知られる穂村弘がいます。穂村をはじめ、従来の歌人の師弟関係によらない活動領域を持ち、大胆な言葉選びで活動する歌人は「ニューウェーブ」と呼ばれ、90年代以降の短歌ブームを牽引して読者の幅をさらに広げました。
【今を詠む短歌】
それでは、SNS全盛の今、人々に読まれている短歌はどんなものなのでしょうか。岡本真帆の〈ほんとうにあたしでいいの?ずぼらだし、傘もこんなにたくさんあるし〉は、まさにSNSで拡散されて有名になった代表的な短歌です。俵万智のサラダ記念日ともどこか共通する、明るい恋愛関係をうかがわせる一首ですが、「傘もこんなにたくさんあるし」という下の句にユーモアと共感を覚える人も多いでしょう。2018年に爆発的に拡散されて以来、SNSではこの歌の上の句を借りて下の句を「替え歌」にする投稿が流行しています。この歌の魅力は巧みな口語の使い方にもありますが、作者独自の意外な視点を提示しつつ、心情としては誰もがどこか共感できるという塩梅がSNSで多くの人にシェアされる理由といえるでしょう。
一方で、人々の心をとらえる短歌には、現代の若者が直面する厳しい現実を象徴するようなものもあります。〈ぼくも非正規きみも非正規秋がきて牛丼屋にて牛丼食べる〉と労働者の悲哀を詠んだ萩原慎一郎は、初歌集の刊行を待たず32歳で亡くなりました。遺稿となった『歌集滑走路』は、2017年の刊行以来2万部以上を売り上げる現代のベストセラー歌集となっています。
現在人気を博している歌人として、他には岡野大嗣(〈人間はしっぽがないから焼きたてのパン屋でトングをかちかち鳴らす〉)、木下龍也(〈愛された犬は来世で風となりあなたの日々を何度も撫でる〉)といった名前を挙げることができるでしょう。広く世の中に選ばれる短歌がその時代の短歌の空気をあらわすとするならば、現代の空気は「人それぞれの弱さに寄り添う共感性」といったようなものかもしれません。
しかし、短歌そのものの魅力は多面的です。すんなり理解されることを拒むような短歌が強烈に人を惹きつける場合もありますし、一見共感されやすい短歌に垣間見えるどこか触れがたい孤独感が作品の魅力になっている場合もあるでしょう。
【短歌ブームという現象】
2020年前後に始まった現在の短歌ブームの大きな特徴は、短文投稿型のSNSで多くの人が自分の短歌を投稿するようになったことでしょう。
SNSで短歌を発表する人が増えている理由として、X( 旧twitter)に代表されるような短文投稿型SNSのフォーマットと短歌の相性の良さがまず挙げられます。限られた文字数の中で言葉を練りつつ自分の思いや視点を発信するSNSは、まさに短歌と共通する部分が多くあります。逆に言えば、短い文章で共感や気づきを得ることができる短歌という文芸は、SNS上である種の「キラーワード」として拡散されやすい性質を持っていると言えるでしょう。
短歌を発表するプラットフォームが増えたことも短歌ブームの土台となっています。従来、短歌の世界で腰を据えて活動するには、「結社」と呼ばれる団体に所属して著名な歌人に師事することや、新聞や雑誌に短歌を投稿して評価を得ることが必要とされてきました。しかし、インターネットやSNSの登場以降、そうした従来の仕組みによらずに多くの人と交流し、作品を高め合うことのできる土壌が育ちつつあります。有志で運営されている短歌投稿サイトやフリーペーパーが人気のほか、個人やグループで歌集を作り、即売会やネット通販で販売する人も増えています。従来の結社や新聞、雑誌への投稿、出版社が主催する短歌賞などが果たす役割は依然として大きいものの、短歌に親しむ人の裾野の広がりという意味では、SNSやオンラインのコミュニティの登場は革新的だったと言えるでしょう。
また、若手歌人の発掘・紹介に積極的な出版社の登場や、短歌コーナーを充実させる書店が増えたことも短歌ブームを支える重要な一側面です。
【短歌を楽しもう】
五・七・五・七・七という形が決まっている短歌は、誰でも気軽に始めることができる言葉の芸術です。あなたの素朴な思いや日常の中の印象的な瞬間、口に出すとなんとなく気持ちいいフレーズ、「推し」への思いなど、どんなものでも短歌にすることができます。毎日お題が出される短歌投稿サイト「うたの日」に投稿してみるのもいいでしょう。自信がついてきたら高校生が参加できる短歌賞に応募したり、自分だけの歌集を作ってみたりするのもおすすめです。
また、あなたの好きな短歌、歌人を見つけることができると楽しみはさらに広がります。SNSでハッシュタグ「#tanka」をチェックするのが手軽な方法ですが、もしできることなら、短歌コーナーが充実している書店で歌集を実際に手に取ってみましょう。紙の上にゆったりと並べられた短歌は、スマートフォン上で読むのとはまた違った感動を与えてくれるはずです。