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「略奪文化財」をめぐる歴史的経緯と現状

【徐々に「略奪文化財」の返還の動きが】
強奪や暴力、不当価格での買収といった不法な行為で、旧植民地や敗戦国等から持ち去られた文化財は「略奪文化財」といわれています。そうした略奪文化財を保管してきた国の美術館・博物館等に対して、もとの所有国や遺族らが文化財の返還を要求する動きが近年目立ってきています。略奪文化財をめぐる歴史的経緯と現状を紹介します。

【帝国主義時代、文化財を不法に持ち出し】
19世紀後半から20世紀初め、欧米列強諸国による帝国主義拡張の時代に、植民地となったアフリカやアジア、そして太平洋地域から大量の文化財が不法に持ち去られました。こうして略奪された文化財は、それぞれの本国で〝戦利品〞として博物館や美術館、個人のコレクションに加えられました。1907年に改正された国際条約であるハーグ陸戦条約には、文化遺産の略奪禁止と規定されていましたが、これははなはだ不十分なものでした。
第一次世界大戦(1914年~1918年)、第二次世界大戦(1939年~1945年)を通じて、占領国が非占領国の文化財を不法に本国に持ち帰ったり、強制的に買い取るといった組織的略奪も行われました。第二次世界大戦下のナチスドイツは、ヨーロッパにおいて膨大な美術品・文化財を略奪し、ヨーロッパ全体の美術品の2割が奪われたという推計もあります。
第二次世界大戦後、ドイツをはじめイギリス、アメリカなどの諸国は戦時中に貴重な文化財を散逸させたという反省もあり、各国で独自の法律を導入してナチス略奪文化財の返還に動き出しますが、戦中戦後の混乱が続いていたこともあり、返還は順調には進みませんでした。この間、文化財保護に関する国際条約として、紛争時の文化財保護をうたった1954年のハーグ条約、平時の文化財の不法取引を禁じた1970年の文化財不法輸出入等禁止条約が採択されましたが、これらの条約は過去の案件については対象外であったため、ナチス略奪文化財返還の動きは停滞します。

【ナチスによる略奪文化財、返還の動き】
返還への流れが動き出すきっかけとなったのが、1998年に44カ国が署名したワシントン原則です。ナチス略奪文化財を元の所有者に戻すため、各国が法を整備して略奪品の探索を促す内容となっています。このワシントン原則の成立を機に、イギリスで設立されたNPO法人欧州略奪美術品委員会(CLAE)は、世界中に散らばったナチス略奪文化財を元の所有者とその遺族に返還するという活動を欧米で積極的に始めました。その結果、個人収集家や博物館・美術館などの間にも、これまでに購入した美術品の来歴を調べる必要性があるという機運が次第に高まるようになります。CLAEが協力して元の所有者やその遺族への返還につなげた美術品の数は、これまで約3500点。ただし専門家によると、元の所有者に戻っていないナチス略奪文化財は世界でまだ30万点以上あるといわれています。

【転機となったマクロン大統領の演説】
一方1960年代以降、欧米の植民地から独立を果たしたアフリカ諸国は、植民地時代に欧米諸国に不法に持ち出された文化財の返還を幾度となく求めてきました。第二次世界大戦後、ナチス略奪文化財の返還運動が次第に高まりを見せてきたのに比べ、欧米諸国は植民地から持ち去った文化財の問題について見て見ぬふりをしてきました。その流れを変えたのは2017年のフランス・マクロン大統領が自国の元植民地であったアフリカのブルキナファソで行った「アフリカ諸国の文化遺産がフランスに保管されているのは受け入れられない」という内容の演説だといわれています。
それまでフランスは「国の財産の譲渡を禁じる法律がある」という理由を盾にアフリカから持ち去った文化財の返還を拒否してきましたが、マクロン大統領はセネガルの作家サール氏とフランスの美術史家サボア氏に、自国のアフリカ文化財の歴史と取得経緯について調査を依頼しました。二人が作成した報告書には「植民地時代からの西洋とアフリカの不均衡な関係によって文化財が奪われてきたことを認識し、返還すべき」とあり、マクロン大統領はこの報告書をもとに法整備を急ぎ、略奪文化財の返還に動きました。これは、長年にわたり返還を拒否してきた欧米各国の姿勢の転換を促したものとされています。

フランスのマクロン大統領

【人権差別撤廃の世論が博物館・美術館を動かす】
当初、欧米の博物館や美術館は必ずしも返還に前向きではありませんでした。アフリカだけでなく、これまで世界各地から集めた文化財の返還要求の声が強くなるだろうと考え、具体的には①「自国の博物館・美術館のコレクションが一気に減少して、学術的な研究が停滞するのではないか」、②「返還を求めている国での文化財の保護・管理体制が不十分であり、文化財の損傷につながるのではないか」、③「世界各地の文化財に欧米でより多くの人に触れられる機会が減少するのではないか」などと警戒したのです。ルーブル美術館(フランス)、メトロポリタン美術館(アメリカ)など欧米の主要な18の博物館・美術館は、自らを時代の流れに影響されない〝普遍的博物館・美術館〞と位置づけ、「過去の行為は現在と異なる価値観と文脈で判断すべき」「われわれの使命は、特定の国家だけでなく、普遍的にあらゆる人々へ文化を伝え、奉仕する義務がある」と所蔵品の正当性をアピールしました。
ちょうどその頃、アメリカで黒人のフロイド氏が白人警察官に首を圧迫されて死亡した事件をきっかけに「Black Lives Matter(ブラック・ライブズ・マター)」運動が全米に起こり、そして欧州にも広がりました。「(誰の命も大切。当然)黒人の命も大切」といったフレーズを掲げ、人種差別の撤廃を訴えるこの運動は、世界の人権意識向上の醸成に大きな影響を与えました。そして人種差別の原点として、過去の奴隷制や植民地支配にも非難の目が向けられるようになり、略奪文化財の返還に消極的な姿勢をとる博物館・美術館は、過去の植民地問題に誠実に向き合っていないという批判が高まったのです。こうした世論に突き動かされるように、欧米各国は博物館・美術館の所蔵品の来歴について本格的な調査を開始します。

【文化財返還には外交的思惑があるという指摘も】
ただ、欧米諸国が進めるアフリカ諸国への文化財返還の動きには外交的な思惑があると指摘する声もあがっています。食料や武器輸出の最大級の貿易相手国としてアフリカで存在感を増す中国とロシアに対して、欧米諸国は文化財返還を糸口に外交を行って牽制し、アフリカにおける争いを有利に進めることが真のねらいだとする専門家もいます。その真意までは測りかねるとしても、欧米では人権意識の伸長や社会的意識の高い若年層の活発な発言などもあり、ナチス略奪文化財だけでなく、アフリカやアジア、太平洋地域をはじめギリシャ、ローマから不法流出した文化財についても元の所有国に返還するという動きが近年目立つようになりました。
大英博物館(イギリス)は、ギリシャ・アテネのパルテノン神殿から持ち出された彫刻群エルギン・マーブルズの返還について、ギリシャ政府との協議を進めています。この彫刻群は紀元前5世紀に造られた大理石の彫刻で19世紀にイギリスの外交官エルギンが持ち出し、同館で展示されてきました。ギリシャは1970年代からイギリスに対して返還要求をしてきました。イギリスは「当時のギリシャを支配していたオスマン帝国から正式な許可を得て入手した」という立場を崩していませんでしたが、2021年ついにギリシャとの協議のテーブルにつきました。同館は世界中から文化財や美術品を集めてきた経緯があり、有名なところでは、古代エジプトのヒエログリフ(神聖文字)解読のきっかけとなったロゼッタストーンやチリ領イースター島のモアイ像なども展示されています。これらの国々からの返還要求運動もたびたび起きており、エルギン・マーブルズが返還となった場合、これら以外の国々からも同様の要求が激しくなる可能性があり、イギリス政府は協議の進展を慎重に見守っています。

ロゼッタストーン(大英博物館)もエジプトから返還要求が起こされている

【返還をめぐる動き、日本も無関係ではない】
2022年になると、動きはさらに活発化します。ドイツ政府は、イギリスの侵略により滅亡したベニン王国(現ナイジェリア)からイギリスが持ち去り、略奪後ドイツに渡った美術品をナイジェリアへ返還して「私たちはこの美術品を持ち続けてきたことが誤りだった。負の歴史に真剣に向き合いたい」とコメントしました。ローマ教皇庁(バチカン)は、バチカン美術館が所蔵するパルテノン神殿の彫刻の一部をギリシャに返還すると発表。アメリカ政府は作品の入手過程で略奪が確認されたとして、メキシコに古代文明の美術品を、イタリアにテラコッタ像を返還すると発表しました。スミソニアン博物館(アメリカ)は「合法的に取得した収蔵品でも来歴に問題ありと判断した収蔵品は返還する」と発表。1億4千万点の所蔵品を対象に来歴の再調査に着手しました。
こうした動きについて、日本も無関係ではありません。かつて日本も中国や朝鮮半島などから戦争時に数多くの文化財を持ち出しましたし、バブル期には西洋の文化財を投資の手段として大量に購入したケースもあります。ゴッホの絵画「ひまわり」を所有する日本の企業は、「ユダヤ人を迫害するナチスの政策により、自分たちの先祖が所有していた美術品を安価で剥奪された」として、「ひまわり」を旧蔵していたユダヤ人の遺族によりアメリカ連邦裁判所に絵画の返還を求める訴えを起こされる事態となりました。同社は「あくまでも正規の手段で入手した美術品であり、我々の所有権の正当性に疑念の余地はない」として裁判の無効を訴える意見書を提出し、裁判での決着をつける構えです。しかし、2023年には日本人が所有していたイタリア人画家アレッサンドロ・トゥルキの絵画「聖母子」が、オークションのリストに載っていたのをポーランド文化・国家遺産省が目にとめて返還を申し入れてきました。交渉の結果、この絵画については無償で返還されました。
文化財は個人や国家の占有物ではなく、人類共有の財産であり、平時においては文化財が強奪されたり、損傷を加えられるなどは許されないという認識は今や世界に広がっています。ましてや、文化財が戦争や武力紛争で破壊されたり散逸したりすることがないよう、私たちは注視していかなくてはなりません。

日本人が所有していた絵画「聖母子」がポーランド大使館で返還された(2023年5月、ポーランド広報文化センター提供)

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