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LGBT理解増進法が成立・施行

【多様性に寛容な社会を実現するために考えるべきこととは】
今年6月16日、「LGBT理解増進法」が国会で成立し、同23日に施行されました。性的指向やジェンダーアイデンティティ(性自認)の多様性に寛容な社会を実現することを目的に掲げたこの法律ですが、成立過程やその内容をめぐってさまざまな問題が指摘されています。とくに当事者や支援団体からは「むしろ人権を後退させる法律だ」と厳しい声が上がっています。一体どんな法律で、なぜ議論を呼んでいるのでしょうか。そして、多様性に寛容な社会を実現するために私たちにどんなことができるのでしょうか。

【LGBT施策の基本理念を定めた法律】
世の中の多数派ではない人々は、社会生活の中で、多数の人があまり経験しないような困難に直面することがあります。LGBTやLGBTQ+などと呼ばれる性的少数者の中には、学校や職場でいじめ・ハラスメントに遭う、パートナーと暮らすための部屋を借りるのを不動産屋に断られる、性的指向や性自認を理由に就職の内定を取り消される、といった経験をした人もいます。近年では社会全体でのLGBTに関する認知が広がり、こうした差別は許されないものだという認識が定着しつつあると言えるでしょう。しかしその一方で、公の目の届かないところでの差別や、周囲の理解不足による軋轢はいまだに根強いという現実があります。
こうした性的少数者への理解を増進し、差別をなくしてゆくために制定されたのが「LGBT理解増進法」です。LGBT理解増進法では「性的指向およびジェンダーアイデンティティを理由とする不当な差別はあってはならない」ことを明文化し(3条)、国、自治体はLGBTの理解増進施策の策定・実施に努めること(4、5条)、事業者は労働者への普及啓発や環境整備、相談機会の確保に努め、学校では家庭や地域住民の協力を得ながらLGBTに関する教育や環境整備、相談機会の確保に努めること(6条)、などを定めています。なお、この法律はLGBT関連施策の基本理念を示した「理念法」であり、罰則規定はありません。

【紆余曲折の成立過程】
それでは、差別をなくすための法律がなぜ議論を巻き起こしているのでしょうか。その背景を知るために、まずはLGBT理解増進法が成立した経緯を整理してみましょう。
過去30年ほどの間に、欧米を中心とした先進国の多くではLGBTに関連する法整備が進んできました。ところが日本の法整備は遅れていて、2019年にOECDが実施した性的少数者への差別を禁止する法整備状況に関する調査では、調査対象の35か国中下から2番目の34位となっています。こうした世界的な潮流を受けて、日本でも東京オリンピック・パラリンピックを控えた2016年ごろから、当時の民進党を中心とした野党や一部の与党議員を中心にLGBTの権利を保障する法整備が検討されてきました。オリンピックの精神を成文化したオリンピック憲章では、性的指向を含むあらゆる理由による差別を否定しています。法整備に向けて、東京オリンピック・パラリンピックは大きな契機となるはずでした。
しかし、野党案と与党案には当初から乖離がありました。野党が「差別禁止法」の成立をめざしていたのに対して、与党側は差別禁止ではなく「理解増進」を目的とした法整備にこだわったのです。2021年には党派を超えた議論の末に理解増進法案の内容がまとまったものの、自民党内の一部で「差別は許されない」という文言についての反発が強く、結局この時は法案を国会に提出するまでに至りませんでした。
今年に入り、G7サミット(広島で5月に開催)を前にLGBT理解増進法が再び注目されます。議長国でありながらG7の中でも特にLGBT関連の法整備が遅れている日本に対して、海外からも厳しい視線が向けられたことがひとつの要因です。立憲・共産・社民は超党派合意案での採決をめざしましたが、自民・公明がこれに修正を加え、最終的に維新・国民案を加味した形で可決・成立することとなりました。

【「当事者不在」から生じた問題点】
LGBT理解増進法について、具体的にどんな点で問題が指摘されているのでしょうか。
その一つは、法案成立間際に維新・国民案で追加された「措置の実施にあたって、全ての国民が安心して生活できるよう留意する(12条)」という条文です。「まるでLGBTの権利を保障することが、多数派の人々の生活を脅かしかねないような文言だ」として、当事者や支援団体が疑問を呈しています。
この条文は、LGBT法についての審議が進められる中で「LGBT法が施行されれば、女性のふりをした男性が女子トイレや女湯に入ってくることを取り締まれなくなる」という言説が世間で注目されたことを受けて追加されたものです。しかし、この言説には根本的な誤りがあります。実際には、LGBT法によってトイレや公衆浴場の利用基準が変わるわけではなく、これまで女性用のトイレや公衆浴場を使えなかった人が使えるようになるわけではありません。
とはいえ、社会の転換点にあって多くの人々が不安を抱くこと自体は、仕方のないこととも言えます。ポイントは、「犯罪行為の抑止」と「性的少数者の権利の保護」とは全く別問題だということです。犯罪を抑止するならばまずは厳罰化を議論すべきですが、性的少数者の問題とひとまとめに論じることで、まるで性的少数者が犯罪予備軍であるかのような差別的な認識を広めてしまうことにつながります。12条の条文について当事者や支援団体が指摘しているのは、まさにこうした不安を煽るようなものになってしまっている点です。
問題点はほかにもいくつか指摘されていて、例えば6条の「家庭や地域住民の協力を得ながら」教育や啓発を行うとした文言については、「すでに学校で行われているLGBTに関する教育・啓発が保護者や地域住民の反発によって歪められてしまうのではないか」と懸念されています。
一方、保守層をはじめとする人々からは「性的少数者の権利拡大や啓発を進めることは社会の混乱につながる」という真逆の考えからLGBT法成立に抗議の声が上がり、対立は深まるばかりです。
同性婚の法制化をめざす当事者と支援者が作る団体「マリッジ・フォー・オール・ジャパン」は、LGBT法成立を受けて記者会見を行いました。その中で、理事の松中権氏はこう訴えます。「(今回成立したLGBT法は)理解を抑制、制限、後退させるものだと感じている。当事者不在のままで法案が通るのではなく、より多くの人が安全安心に暮らすことができる社会を目指してほしい」

【トランス当事者の社会生活】
ここまで解説してきたように、LGBT関連の法制化が進む一方では、激しいバックラッシュ(揺り戻し)が起こっています。現在、公共スペースの問題をめぐって特に苦しい立場に立たされているのが、トランスジェンダー(生まれつきの身体の性別に違和感があり、別の性別として生活している人や、身体的に男性や女性にはっきりと分類できない人、自分を男性でも女性でもないと自認している人などの総称)の人々です。
トランスジェンダーのなかでも状況はさまざまで、本来は一緒に論じるべきではありません。性別適合手術を受けている人もいれば、手術は受けず継続的にホルモン治療を受けている人という人もいます。どちらの治療も心身と金銭面で大きな負担を伴いますし、性別適合手術を受ければ自分の子どもをもつこともできなくなってしまうため、どちらも受けていない、あるいは受けられないという当事者もいます。
こうした身体の移行状態と合わせて、社会生活の上で周囲との関係を調整してゆくのが社会的性別移行です。社会生活では戸籍上の性別による制約も数多くありますが、日本の現行法では、戸籍の性別を変更するためには生殖能力を失っていること、結婚しておらず未成年の子どもがいないことなどが要件として定められているため、戸籍を変更できる当事者は全体の2割程度にとどまっています。
身体や戸籍まで完全に移行することが簡単ではない状況でも、トランス当事者のほとんどは自身の移行状態に合わせて周囲と良好な関係を築くことを願い、実際にそのように行動しています。たとえばトイレであれば、自身が女性として周囲に受け入れられていれば女性用トイレを使うことができますし、外見も含めた社会的移行が十分でなければ多目的トイレや男性用トイレを使うことが普通でしょう。衣服を脱いで他人と空間を共有することになる公衆浴場では事情が異なり、外性器などの身体的特徴に即した性別のお風呂を使うのが適切とされ、今年6月にはLGBT法の施行を受けて厚生労働省からもその旨の通知が出されています。
今年7月には、経産省に勤めるトランスジェンダー女性が、女性用トイレの使用を制限されているのは不当だとして国を訴えた裁判で、トイレの利用を制限する国の対応は違法だとする最高裁判決が出されました。今回の判決は、この職員が女性として社会生活を送っており、他の階の女性用トイレを使っていても何らトラブルが起こっていないという個別の事情を踏まえてのものでした。
同じ社会で生活していく以上、さまざまな考え方、感じ方があるでしょう。しかし、これらの問題ばかりが大きく取り上げられることで、トランス当事者が激しい偏見や攻撃の対象になってしまっている現状は、決して放置してよいものではありません。

【当事者の実情を踏まえた施策を】
さまざまな議論を呼んでいるLGBT理解増進法ですが、差別のない社会への足がかりにできるかは今後の運用をしっかりと注視していく必要があります。今最も必要とされているのは、政治の意思決定の場に当事者が参加し、性的少数者の実態や個別の事情を施策にしっかりと反映させていくことでしょう。
それに加えて、私たち一人ひとりには、自分とは立場の異なる他者を尊重できるかどうかが問われています。「誰かの人権が尊重されれば自分の人権が制限される」のではなく、「誰かの人権を尊重することが、自分自身の人権を尊重することにつながる」と考えることでしか、多様性を尊重する社会はやってこないのではないでしょうか。さまざまな困難はありますが、対立ではなく対話によって乗り越えてゆきたいものです。

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